キリン

 私の数少ない特技の中に木登りというものがある。幸い、私はサバンナに住んでいて、ちょうど良い高さの木がそこら中に生えている。一番高い木から落ちても軽度の骨折程度で済む。とはいえ、まだ木から落ちたことはなく、木から落ちる猿なんかいないのではないかと思い始めている。

 私の仕事はキリンのお世話だ。心が汚れた人間たちに襲われないように彼らを守り、彼らが病気になったりしないかを毎日確認している。でも最近はかなり落ち着いていて、警報器を鳴らすことも獣医を呼ぶことも少なくなってきた。彼らの成長を間近で見届けられるのはこれ以上ない幸せだ。

 私が木に登るのは、単に木登りが好きだからという理由だけではない。キリンは皆のっぽで、私が彼らの顔を観察するためには木に登らなくてはならないからでもある。なんとなく、近くにいる彼らの顔をわざわざ双眼鏡で覗くのは好きではない。ここだけの秘密だが、キリンと仲良くなるには木登りを練習するといいと思う。

 彼らに夢中になっていると、まれに、私は自力で降りることのできない高さまで登ってしまうことがある。そんな時は、口笛を吹く。すると、近くにいるキリンが寄ってくる。私が木から降りられるようにと、長い首で助けてくれるのだ。私は重くないかと聞くと、ちゃんと捕まってな、とこちらの心配ばかりする。

 キリンはとてもお淑やかでフレンドリーな性格をしており、彼らと親しくなるのはそう難しくはない。頭がよく、一ヶ月会わなくても私を私だと認識してくれる。もちろん私も、彼らの一人一人を区別している。歩き方や、体の模様、背の高さ、彼らをずっと見ていれば、名前をつけるのも難しくはない。

 ボブという人懐っこい若いオスのキリンがいる。私は彼が赤ん坊の頃からよく遊んできたので、彼らの群れの中でも最も愛情深いキリンと言ってもいい。彼はよく私を背中に乗せて散歩に連れて行ってくれる。私はお礼に立髪を綺麗にカットしてあげたり、首や背中をマッサージしてあげたりするのだ。

 ボブは本当にマッサージが好きだ。いや、ボブだけではない、キリンはみんな首のマッサージをしてもらいたがる。キリンは首が長ければ長いほど、強くてかっこいいとされるらしい。彼らに言わせれば、私がマッサージをすることで首が長く伸び、丈夫になるらしい。

 マッサージで首は本当に長くなるのかい、と聞くと、そうだ、そうに決まっている、とボブは頑なに言う。見ろよ、従兄弟のシェーンなんかこの一ヶ月で60cmも伸びたんだ、先月シェーンは12回もマッサージを受けたって聞いたぞ、俺は8回だったから49cmだったんだ、絶対そうだ、とぶつぶつ言う。

 確かに、人間の私から見ても、首が長くて背の高いオスは強くてかっこよく見える。だから、彼らにとっての首は私が思う以上に重要なステータスなんだろうとは想像がつく。そして、なんだかんだ言いつつもマッサージをしてあげるのは嫌いじゃない。

 早速やってくれ、とボブはマッサージをお願いしてきた。3時間前にやったばかりじゃないか、揉みすぎると首も疲れるよ、と私は言うのだが、それでもやってくれ、とボブは駄々をこねる。木登りで鍛えた握力は、キリンの首のマッサージをするのにも一役買っている。

 ボブにマッサージをしてやると、次第に他のキリンたちも列を作り始める。みんなマッサージで首を長くしてもらおうと必死なのだ。我先にと、争ったりしないところは、私がキリンたちに好感を持てるところだ。順番を待ちながら、背を比べたりしているのをみると、微笑ましくなる。君たちは十分大きくなっているよ。

 一方で、メスのキリンたちは少しばかり注文が多い。まつげをくしでとかしてほしいというキリンもいれば、爪を磨いてくれというキリンもいる。シェーンの姉に当たるソフィアはおしゃれ好きなキリンで、体の模様を描いてくれ、とまで言う。メスのキリンは毛並みや爪、体の模様に特に気を使うのだ。

 ソフィア、君は充分綺麗な模様を持っているじゃないか、と聞くと彼女は、たまには違う模様があってもいいでしょう、と言う。服を作ってあげようかと提案すると、暑いから、と服は着たがらない。確かに、サバンナで服を着ているキリンに出会ったことはない。

 最初に模様を描いてくれと依頼された時は、びっくりしたし、どうしたらいいのかわからなかった。キリンの体に絵を描いた人間が今まで何人いただろう。キリンの肌に合う塗料などあるはずがない。アレルギーや炎症が起きる可能性を考えると、自然塗料を使うほかない。

 私は庭に育てていたひまわりと大豆から油を抽出し、手作りのペンキ塗料を作った。アカシヤの枝とキリンの尻尾の毛で筆を作り、他のキリンに肩車してもらいながらソフィアの体に模様を描いた。絵を描くのは苦手だったが、模様を描くのはなんだか楽しかった。他のキリンとおしゃべりをしていると、あっという間に時間は過ぎた。

 私が描いた模様をソフィアは気に入ってくれた。他のキリンたちにも好評だったことは素直に嬉しい。私はキリンたちが喜んでくれるなら、どんなことでもしてあげたいと思う人間だ。ただ、彼らのためにしてあげていいことはどこまでなのか、その境界線ははっきり引かなければいけない。

 人が化粧がするように、キリンもおめかしをしたっていいだろうと思い、私はそれからもたびたびメスのキリンに模様を描いてあげた。私が作った塗料は水に弱く、雨がふると、簡単に色が落ちてしまい、発色も鮮やかとはいえなかったが、それでもやはり、合成樹脂を原料にした塗料だけはキリンたちに使いたくはなかった。

 しかし、キリンたちも次第に、もっと明るい色で塗って欲しいと言ったり、水浴びをしても取れない模様が欲しいと言い出すようになった。僕は小屋の奥にしまってある化学塗料のことを考えた。本来は小屋の外壁を塗るためのものだが、より綺麗で耐久性のある模様をキリンの体に描くこともできるだろう。

 ソフィア、この塗料ならどんな色でも鮮明に再現できるし、二、三回の水浴び程度じゃ色あせないと思う、でもね、君の体にいいとは思えないんだ、何しろ生き物に使うものではないからね、と私は言った。それでも構わない、と彼女は言う。オスのキリンが首の長さを気にするように、メスのキリンにとって体の模様は特に重要なのだろう。

 ただ、キリンの体に色を塗るのは、私のする仕事なのだろうか。キリンたちは喜んでくれるかもしれないが、私はそれを見て素直に喜べるのだろうか。僕はキリンと長年関わってきて、キリンのためにいろんな仕事をやってきた。キリンが喜んでくれること、それが私の生き甲斐であったことは確かだ。

 どうやったらソフィアを説得できるのか、私は一晩中考えた。どうやったら気づいてくれるのだろう、自分の生まれつき持っている体の模様がどれだけ美しいのかを。マッサージや爪磨き、毛を整える仕事ならいくらでもする。でも、いかにも皮膚が荒れそうな塗料を、大好きなキリンたちに塗ってあげたくはない。たとえどれだけ喜んでくれようとも。

 翌朝、私は小屋で何色もの色を作った。できるだけ鮮やかで、豊富な色を作った。そして、私はいつも着ている作業着を脱いで、自分の体に例のペンキを塗りたくった。できるだけ派手に、たくさんの色で。乾くか乾かないうちに、私はキリンたちの群れへと向かった。

 おはようと言う前に、キリンたちは私を見て笑った。一体どうしたっていうんだ、と。私は返した。どうだい、私の体の模様、綺麗に見えるかい?髪の毛も君たちと同じく金色と茶色で塗ってみたよ。でもこれ、めちゃくちゃ変な匂いがするし、何しろ痒いんだ。

 頭のいいキリンたちは、私がどうしてこんなことをしているのか、すぐにわかってくれた。ソフィアは言った。やっぱり、私も自分の模様がいいな。私はあなたの本来の皮膚や髪の色が素敵だと思うけど、それは私たちも同じね。ボブもあからさまに首を伸ばして言った。ソフィアの模様はもともと綺麗だよって、俺、言おうと思ってたんだ。

<おしまい>

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