今回は、2019年6月2日、ちょうどボストンに到着した日のお話をしようと思う。
アメリカへの渡航前、どっぷりと観光気分に浸っていたのはある意味仕方のないことだった。旅行と留学の違いは、往復切符を買うか、片道切符を買うか。どれだけ遠くに行っても数日したら帰ってこれる旅行と、もうしばらく家には帰れない留学。その明確な事実は意外と直前になるまで気づかないものだ。僕がその事実を飲み込むことができたのは、空港の手荷物検査場のゲートを超えた時だった。見送りにきてくれた親友らに手を振ると、浮かれていた気分が一変して現実味を帯びた。
これからアメリカで一人だけど、大丈夫そう?
計画通りに行けば、数年の間はアメリカにいることになる。途中で挫折をしたり、計画を変更しない限りは、しばらく日本には帰らない。地元を出発するときに祖父母が泣いていた意味が、今ようやくわかった気がする。妹にとっては、いよいよ全く家に帰ってこない兄になる。留学の準備期間は半年程度しかなく、忙しくて意向を伝えられなかった友達もたくさんいる。出発ゲートのベンチにひとり腰掛けると、いろんな思いが巡り寄せ、涙が止まらなかった。
何度も利用してきたくせに飛行機が得意ではない僕は、搭乗のたびに冷や汗をかく。ちなみに、ローラーコースターなどの絶叫系アクティビティは凶器の沙汰。今回の搭乗では緊張のせいか冷や汗が止まらず、CAの方に何度もボトルの水を頼む羽目になった。天気が良く、フライトの最中に一度も機体が揺れなかったことは幸運だった。英語による到着後の機内アナウンスが聞こえてきた時にやっと、アメリカに来てしまったことを強く実感した。
”Welcome to Boston.”
手荷物が無事空港に到着していることに安心するのも束の間、空港から出るにはまず入国審査を受けなければならない。渡航目的や滞在期間の質問、指紋採取やパスポート写真の照合がされたりする。係員には無愛想で冷たい人もいるという話を聞いたことがあって、何か難しいことを聞かれはしないかと怖かった。しかし、実際はそんな心配はいらなかった。審査を担当していただいた方は優しい白人のおじいさんで、すべての返答はYesで答えられるように質問してくれていた。
”You’re all set.”
ゲートを超えた後、iPhoneを空港のWIFiに接続し、友達や家族に無事到着したことを伝えた。あとは空港の玄関まで迎えに来てくれるはずのドライバーを探すだけだ。出口にはたくさんの出迎えがあって、皆それぞれ出迎える人の名前や団体名が記されたプレートを掲げていた。急に走り出した若い女の人が満遍の笑みで友人に抱きついたのは、きっと久々の再会だったからだろう。僕がここを訪れる立場にいるというだけで、この場所へ戻ってくる人たちも当然ながらいるのだ。
一方、何事もなくそのまま外へ出る人も多かった。きっと日常的に日本とボストンを往来する仕事をしている人たちなのだろう。そういえば、成田空港発ボストン行きの便の待合室で涙を浮かべていた人は自分以外に見当たらなかった。国境を超えて必要とされるのはすごくかっこいいなと思った。目に映るもの全てが新鮮で、いろんな情報が頭の中を交錯する中、僕は目的のプレートを持つ女性の方を見つけた。
”ELS Boston”
意外にもボストンでの最初の会話は日本語だった。 同じ語学学校に同じ日に入学する日本人の方がまさか同じ便に乗っているとは思わなかったので少し驚きながらの自己紹介。なんでも資生堂で勤務している方で、ボストンには二週間の海外研修をしに来ているそうだ。社会人になっても勉強をしようという志は見習いたいと思った。外見的な要素ではあるが、シャネルのバックを持ち、ベルボトムパンツを履いていたところが男性としては個性的だった。
世間話も済んだ頃、もう一人到着するはずの生徒がまだ見えないらしく、プレートを持っている女性はその生徒と電話で何かやりとりしているようだった。なんとなく察するに、もう一人の生徒は空港で迷子になっているようだ。入国審査からここまでの通路は比較的わかりやすく、それこそ分岐点などなかった気がするが、迷うところはあっただろうか。そう言えばこの集合場所にはトルコから来たという生徒もいるし、東京発の他にも同じ時刻に到着する便があったのかもしれない。
しばらくして、チノパンにシャツという服装にメガネをかけた男性が駆け足でやってきて、プレートを持っている女性に向かって手を振った。どうやら迷子になっていた生徒というのは彼のようだ。肩からかけるバックにいかにも日本人の面影があったが、でもそれがどうして日本人っぽく見えるのかを説明しようとすると難しい。”いやあ、すいません、迷子になりました〜。” ほら、やっぱり日本人!
飛行機が到着して1時間以上がった頃にやっと、プレートを持った女性の方が送迎車の停めてあるところへ案内してくれた。全部で十人くらいいた生徒が目的地ごとに3、4台の車に振り分けられた。僕は偶然にも日本人のお二方と同乗することになった。日本人全員が偶然同じ車に乗ったとすると、その確率は10C3、つまり120分の1。これは案内してくれる女性の配慮によるものとみて間違いなさそうだ。
ドライバーの方は元気な黒人の若いお兄ちゃんだった。ボストンへようこそ!と言うなりトランクに荷物を積んでくれて、僕はそのまま後部座席に乗り込んだ。先程の女性は助手席に座り、早速誰かと電話でやりとりをしているようだった。空港を出発したのは夜の7時半くらいだったが、外はまだ明るかった。トンネルを通過する頃、ドライバーのお兄ちゃんが、俺らここから海の下を通ってくんだぜ!と教えてくれた。
正直に言うと僕はこの時、”We 〜 〜 〜 under the sea!” しか聞き取れなかったが、メガネの日本人の方の、へえー海の下通るんだ、という呟きに助けられた。実際、日本人のお二人は自己紹介の英語を聞く限り僕より遥かに英語ができるようだった。大企業に勤める人なら英語くらい使えて当然なのかもしれない。いや、会社のカリキュラムでアメリカに来るということは、なおさら英語ができるという裏付けであるかもしれない。
何も見えないトンネルの中で自己紹介を済ませたのは、トンネルを抜けた後に見えてくるボストンの景色を楽しめるように、というドライバーの配慮だったと後からわかった。”By the way,” から自己紹介への持っていき方が、もう何十回もやってきたように手慣れていたからだ。海の下を通るというアナウンスは、手持ち無沙汰のトンネル内で自己紹介を促すための定番アイスブレイクだったに違いない。
最後に自分の自己紹介の番が回ってきて、”And, what’s your name?” と聞かれた。”My name is Shuto, thank you for giving us a drive.” と勉強しておいたフレーズを使った。すると、名前を聞き取ってもらえなかったようで、”You’re very welcome. Say your name again?”と聞きなおされた。”I’m Shuto.” ともう一度名前を繰り返す。”Shodo?” “Nah, Shu-to.” ”What?” “Ah〜、シュウ、トォ、、、。”
初対面の方との会話は大抵名乗ることから始まる。だから言いたいことを英語でうまく言えなくても、自己紹介や挨拶くらいだけはできるようにしておこうと思っていた。高校の時全く話せないままアメリカに来てしまった経験があった分、留学前に日常英会話の練習は少ししておいた。できる準備はしておいたはずなのに、名前すら聞き取ってもらえない、そんなことがあっていいのか。想定外の出来事に戸惑っていると、さらに追い討ちが来た。
”Oh my god, it sounds like SH*T! Hahaha, just kidding, I got yours man!”
頻繁に洋画を見る方でもそうでなくても意味はお察しだと思うが、”ク○みたいな名前だな” なんて言われたらもうがっくり。同乗していた日本人の方が笑ってくれたらまだマシだったのだが、そんな助け舟はなくもちろんなかった。自分で笑うこともできず、何をどうすればいいのかわからなくなった。冗談とはいえ初対面でこの発言をするのはおかしいな、と今こそ思えるけれど、出鼻をくじくには十分すぎる事件だった。今ではちょっとした笑い話だ。
車内に若干漂っていた気まずい空気は、トンネルを抜けボストン市街が見えてくると同時に少し軽くなった。僕は窓に身を乗り出し、夜8時になってもまだ明るい外を眺めていた。当時はサマータイムという存在を知らないので、単純に日照時間がめちゃくちゃ長いのかとさえ思ったものだ。夕日に染まるボストンの景色はク○呼ばわりされた自分を慰めてくれた気がする。日本でゆっくりと夕日を眺める機会がなかっただけか、ボストンの街の雰囲気がそうさせるのか、とにかく初めて見るボストンの夕日は格段に綺麗だった。
それからというもの、ボストンでみる夕日は、初日の苦い思い出と感動した思い出の両方を象徴している。夕日を眺めに行くと、当時の目線から今の自分を客観的に見ることができるし、ボストンの街を眺めると初心を思い出すことができる。どんなに忙しくても一人の時間は作ったほうがいいと思うし、サンセットは視覚的に心と体を癒してくれるような気がする。最近は時間があれば、夕日が綺麗に見えるスポットを探しにいくようになった。
僕をク○呼ばわりしたあげく散々道に迷ったものの、ドライバーはホストファミリーの家まで僕をしっかり送り届けてくれた。ご近所はGoogle Map のストリートビューで確認しておいた画像と何ら変わらなかった。重いスーツケースを担ぎ、玄関までの階段を登る。ベルが二つあってどちらを押せば良いのかわからなかったが、ホストファミリーの名前が書かれたシールが貼ってある方を一呼吸置いてから、押した。
しばらくしてドアが開いた。背の高い男性と、中学生くらいの男の子と女の子が出迎えてくれた。優しそうな親子の姿にホッとしたと同時に、彼らもまた緊張の面持ちであった。もちろん僕は知らない場所へ飛び込んでいるのだが、僕のことを全く知らない方が僕を家のなかへ招いてくれているのだと思うと、緊張しているのは自分だけではないのだと気づいた。後ろを振り返ると、さきほどのドライバーが僕に向かって親指を立て、そして車を出しながら窓越しに叫んだ。
”Good luck!”
こうして僕のアメリカ留学は始まった。
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言語習得者に限って汚い言葉を覚えてしまいがちだ。映画には綺麗な言葉以上に人を罵るような言葉が溢れているし、そういうものは大抵短くて強くて耳に残る。”You are ass**le.” ふらふらと危なっかしく自転車を漕ぐおばあちゃんはアメリカにもいて、ぶつかりそうになるとこちらが悪くなくても平気でそういうことを言う。もちろん皆が汚い言葉を使うわけではないが、そういう言葉が溢れていて印象に残りやすいのも事実だ。しかし、だからと言って、言語学習者の身である自分がそういう言葉を使うようになってもいいわけではない。せっかく新しい言語を学ぶのだから、その言語のいいところに着目したい。日本語でも英語でも綺麗な言葉を使えるようになりたい。言葉が自分自身を作るというのは本当だと思う。